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大人は知らない…YouTuber「パパラピーズ」が若者に絶大な人気を誇る「決定的理由」

Z世代(1990年代半ば~2010年代半ば生まれ)に支持されているYouTuberにパパラピーズがいる。

ぽっちゃりしたジェンダーレス男子のじんじんと、読者モデル経験のあるクールだがツッコミの鋭いタナカガによる、コンビYouTuberパパラピーズは、2018年に活動を開始し、2020年にチャンネル登録者100万人を突破、2021年2月現在160万人。

2020年に発表された「Z総研2020年上半期トレンドランキング」(調査は東京等に住む10~20代の男女106人を対象に20年6月22日~28日にインターネット上で実施)の「YouTuber部門」では1位になっている。

じんじんが女優の浜辺美波と交流があることから、タナカガがメイクスタッフに扮し、じんじんが指令を出して浜辺に失礼な振る舞いをする様子を撮影、浜辺がどこまで許容するかというドッキリを仕掛けるが、浜辺がキレて撮影中断。じんじんが謝罪に行くと、実はタナカガと浜辺が仕掛けた逆ドッキリだったとわかる――といった動画で知られる。

彼らにはどんな特徴があり、どこが人気の要因なのか。動画と21年2月に刊行された初の著書『普通は前世に置いてきた』(KADOKAWA)を元にその理由を考えてみたい。

YouTuber第7世代は何が違うか

お笑い芸人のように、YouTuberも時に世代で区切られる。YouTuberである「水溜りボンド」のトミーが動画「【YouTube第7世代は?】全YouTuberを世代分けしたらどうなるのかトミー(YouTubeのドン)に聞いてみたww」内で発表した世代分けや、白武ときお『YouTube放送作家 お笑い第7世代の仕掛け術』(扶桑社)では

第1世代 ヒカキン、MEGWIN、瀬戸弘司、マホト、劇団スカッシュ、ジェットダイスケ、マックスむらい、セイキン、マスオ、カズなど
第2世代 はじめしゃちょー、アバンティーズ、フィッシャーズ、トミック、くまみき、木下ゆうかなど
第3世代 東海オンエア、おるたなチャンネル、関根理紗、ラファエルなど
第4世代 水溜りボンド、ヒカル、すしらーめんりく、禁断ボーイズ、カリスマブラザーズ
第5世代 スカイピース、へきトラハウス、桐崎栄二、怪盗ピンキー、さんこいち、パオパオチャンネル、はなおなど
第6世代 エミリン、かの/カノックスター、なこなこ、がーどまん、レペゼン地球、だいにぐるーぷ、フワちゃん、ヴァンゆん、カジサック、朝倉未来など
第7世代 パパラピーズ、土佐兄弟、ななこ、みきおだ、妻が綺麗過ぎる。、丸山礼など

と分けられている。

これは活動開始年を1~2年スパンで区切ったあくまで便宜的なものとはいえ、第1世代、第2世代と第7世代のパパラピーズでは感覚に違いがある。

たとえば、パイオニアであるがゆえにアイデンティティとして「YouTuber」を背負っている(背負わざるを得ない)HIKAKINとは異なり、パパラピーズのふたりにとってはYouTuberとして「好きなことして生きていく」というより、「好きなことして生きていく」ための手段、ツールのひとつとしてYouTubeがある。

これは『普通は前世に置いてきた』やいくつかのインタビューで確認できる。つまり、YouTubeで収入が得られる環境が整備されたあとで出てきたインフルエンサーである。

そういうこともあってか、ことさらにYouTube上で企画として新しいことをやろうとか、自分たちが何かを切り開いていくというような気概はふたりからは感じられない。

2010年代のYouTube

また「世代の違い」に加えて、2010年代前半までと後半以降という「時代の違い」もYouTuberの動画の傾向に影響を与えている。

YouTuberの動画といえば、かつては「スライム風呂に入る」といったマッシブな物量や熱湯などを使った危険なネタで身体を張った企画、あるいは口の悪さ/育ちの悪さで目を惹く動画が少なくなかった。

2010年代前半にはYouTuberの多くは、コンプラ重視で健全になったTVのバラエティでは観られなくなったようなタイプの笑いや驚きなどで注目を集めていた。

しかし、たとえば過激な動画で知られたラファエルのアカウントが2019年にはBANされ約7割が公開停止になるなど、YouTubeの規約改訂に伴い、TV並みとは言わないが、YouTubeも健全な内容でなければ収益化できなくなっていった(たとえば以前は許されていたパチンコ動画での収益化ができなくなった)。

したがってパパラピーズの動画も「明太子チューブ1本使い切るまで帰れまてん」だとか「UberEatsで○○してみた」的な大食いネタやドッキリ、K-POPダンス、メイクといった穏当なものがほとんどだ。

彼らの動画が大炎上したのは、広告代理店経由で受けた大学校内で鬼ごっこするという案件動画が、コロナ禍で学生はキャンパスに入れない時期に撮影されたものだったことでクレームが付いたというほぼ1回だけではないかと思われ、物議を醸し、感情をざわつかせる内容の動画はほとんどない。

では何がいいのか。

パパラピーズの気楽さ、疲れなさ

パパラピーズは観ていて疲れないし、不愉快にならない。

「ストレスなくバラエティ的な動画を観て笑いたい」という気持ちを満たしてくれる。

この当たり前のようでいて配慮がなければつくれないコンテンツを提供している点が彼らの魅力だ。

その安心感、気楽さはどこからもたらされているのか。

他人を傷つけるような笑いではなく、「いじり」はあってもお互いに理解し合っている状態での「安全ないじり」しかないところからだ。

パパラピーズの動画では、じんじんがとにかく楽しそうにしている。顔や動きを使った感情表現がはっきりしている。

パパラピーズの動画では「じんじんがぶつかって何かが倒れる」といったちょっとしたアクシデントが毎度起こるが、じんじんはことさらに狙ってボケているというより、素に近い。

もちろん動画向けに多少オーバーに振る舞っているだろうし、どう編集するか計算しながら撮影しているわけだから少なからず作為や客観的な視点はあるが、たとえば食欲に負けて食いまくったり、タナカガに見つからないようにこっそりつまみ食いしたりしている部分などは天然だろう。

じんじんはピンで何かやるよりも、誰かに突っ込まれたり、ボケた部分を強調されたほうが活きるタイプだ。

そのじんじんの振る舞いを、視聴者に近い目線で冷静にタナカガが突っ込む。企画の本題から脱線しがちなじんじんに対して、タナカガは司会者的に引き戻してさばくのがうまい。動画にしたとき客観的にどう見えるかをよく考えて振る舞っている。

『普通は前世に置いてきた』の中で彼女は「気を遣ってツッコミしている」とか「SNSを見ていればだいたいどんなことをすれば炎上するのかわかる」といったことを語っているが、その細やかさは動画にも現れている。

なるべく人を傷つけたり、視聴者がいやな気持ちにならないように配慮した上で最大限効果的な言葉を選んでいることがよくわかる。

逆に言えば、たとえばTVのバラエティ番組は観ていて疲れたり、気分を害することが少なくない。なぜか。

YouTuberのチャンネルとは異なり、TVには通常、いろいろな人が出る。レギュラー出演者に加えてゲストのタレントや一般人が出る。出演者同士がどういう関係性なのか、どんな距離感なのか、初見では視聴者はつかみにくい。

そのなかで番組の送り手側は受け手の観る側にとってわかりやすくするために、出演者をキャラ付けする。そのキャラ付けはたいていの場合「オネエ言葉を話す女装家」「ブスキャラ」「デブキャラ」など類型化されたものであり、それをいじる。しかも秒単位で計測している視聴率を上げるために、視聴者の関心を引くべく、強いボケ、強いツッコミが求められる。

結果、毒があったり、攻撃的に感じたりするいじりが横行する。かつ、全世代向け(どちらかといえば「TVで育った世代向け」)に作られているので、若い世代とは感覚が違う笑いの取り方をすることが横行している。

こういったことが、観ていて疲れる要因になる。じんじんも従来のTV的な演出なら「デブなのにメイクしているオネエキャラ」というキャラ付けをされて、いわゆるオネエ言葉を言わされたり体型をくさされたりしていたかもしれないが、パパラピーズのチャンネル上ではじんじんはそういうステレオタイプな色づけがされておらず、自然体で振る舞っている。

YouTubeでは、迷惑系YouTuberがどこかにゲリラ的に突撃するケースなどは別として、基本的にはそのチャンネルの運営者と、その人たちと親交があるか興味があってコラボしたい人しか出ない。だから出演者同士のベースに、信頼関係と敬意がある。

タナカガが関西弁でじんじんに対して多少強い言葉で突っ込んだり、じんじんが「タナカガと洋服を交換して着てピチピチになる」といった容姿に対する自虐で笑いを取りにいったとしても「誰かに(半ば)強要されてやっているのではなく、本人(たち)が納得と信頼のもとやっている」という安心感がある。

YouTubeはTVに比べて「人を傷つけて笑いを取る」が相対的に少ない空間になっている。パパラピーズの動画は特にそういうセンシティブさへの配慮がある。「気を遣っている」ことが前面に出ると窮屈に感じるが、あくまでコンビ同士の気のおけなさからくる配慮である。だからこそ、気楽に見られる。

「普通」との距離感

『普通は前世に置いてきた』での記述で興味深いのは、動画でははっちゃけているじんじんのほうが小さいころから学校の勉強や介護の仕事をコツコツやって成果を出し、「普通」な存在に見られることに執着してきた人間であり、タナカガは中学時代からあまり家に帰らず友達の家に外泊を繰り返して勉強もまったくしないという奔放な生き方をしてきた、ということだ。これは動画から受けるイメージとは一見異なる。

どう解釈するべきか。自由に生きつつ、どこまでやったらアウトなのかを見極めながら足を踏み外すことがなかったのがタナカガであり、ゲイであることや太っていることなどを何かといじってくる人たちがゴロゴロいる地方都市の窮屈な「普通」の感覚を身をもって知っていたじんじんだった、ということなのだろう。

つまりふたりともSNSネイティブとして「何をどう言ったら/したら、どんな反応が来るか」の感覚が蓄積されているだけでなく、リアル空間において幼少期より「まわりの人たち」から逸脱しながらも、周囲がどの程度なにを許容するのかに対する嗅覚を培ってきた。それが人を傷つけないことと、かつ自分を客観視して許容されうる範囲で最大限おもしろいことをし、ツッコむこととの両立につながっている。

ツッコミは客観性、「普通」に対する嗅覚がないと成立しない。パパラピーズはふたりともツッコミのセンスがある。プロフィール上などではタナカガがツッコミだと説明されているが、彼女は自分が仕掛けたドッキリなのに隠しカメラに向かって語りかけてじんじんにバレてしまうといった天然なところや、企画のためなら無茶な行動を厭わない部分もあり、そういうときにはじんじんがツッコミに回っている。

また、動画の編集はパパラピーズはふたりが完全に分担制でしているというが、どちらが手がけたものであっても「字幕ツッコミ」が効いている。たとえば「TWICE「CRY FOR ME」30分で覚えて踊ってみた」でじんじんがダンスの振り付けが覚えられずに一瞬固まっているカットで「※読み込み中」と字幕で動作に対するツッコミを入れる、といった具合だ。

EXITの兼近は「テレビはツッコミするキャラがいるがYouTubeはツッコミがいないから視聴者がツッコみながら観ている」というようなことを語っていたが(「kemio×EXIT ワクワクする生き方ってなんだろう?」、『クイックジャパン』Vol.150、太田出版)、白武ときお『YouTube放送作家』はレペゼン地球の動画などを引き合いに、おもしろいYouTuberはピンで撮影したものでも字幕ツッコミがうまい――つまり視聴者が考えるツッコミより早く、かつ、ひねりのあるワードを打ち出していることを指摘していた。

パパラピーズも撮影時点での互いのツッコミにプラスして、編集時点で加えた字幕ツッコミが手数の多い笑いにつながっている。

「負の感情」とは正反対

パパラピーズは視聴者が気楽に何も考えずに楽しめるものにするために、誰かを傷つけたりバカにしたりする表現がないように気を遣っている。その空気を読む力と、自分たちを客観視して演者としてボケたり、動画編集者としてツッコミを入れたりしておもしろさを引き出す力は同じところから来ているように思われる。

YouTuberによってはコメント欄がファンとアンチでバトルするなど殺伐としていることもあるが、パパラピーズの動画のコメント欄にはそういう攻撃的な人はあまり見られない。視聴者同士の空間が健全で和やかなのは、送り手側が怒りや嘲りといった感情、マウンティングを生む要素を動画から極力排除しているからだろう。

SNSやネットニュースをはじめ、ネット上には人々の負の感情が渦巻いているし、攻撃性を喚起し、煽る言葉や記事、動画がそこかしこに転がっている。それらに触れることも、それらに触れて怒ったり毒を吐いている人を見ることも、感情疲労をもたらす。

しかし、パパラピーズの動画には人をささくれ立たせる要素がない。そのマイルドさ、やさしさのある笑いの提供こそが、彼らがZ世代に支持される理由なのだと思う。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/80709

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